今、音楽業界は冬の時代と言われています。その反省点として僕が感じることは、技術の進歩に反比例して魂の部分が欠落しているのはないか?と言うことです。感心するものを99点、感動するものを100点とした場合、その1点の差には天と地ほどの差があると思うのです。今、聴く人は多少荒削りでも感動する音楽、魂に触れるようなファジーな音を求めているのではないでしょうか? そういう作品を制作したいなと思っているところへ、この「あじさいの唄」の依頼を受けました。 私はこの作品の絵コンテを見たときに、今流行しているアニメの常識から見ると少し風変わりだけれど、確実に人の心に触れるあたたかいものを感じました。であれば音楽も人の心に触れるようなものを創りたいと思い、ソロバイオリンのコンチェルトスタイルで作曲しました。「あじさいの唄」の作曲にあたって最初にイメージしたのは、あじさいの花に、ぽつりぽつりと雨が降ってくる情景。その雨だれの音を出だしのハープで表現しました。ここに栗太郎くんの思いが入ってくるのです。
感動するものを作るためには、技術やキャリア以外の何かが必要だと感じています。感動には人を変える力がある。でも映像なり、音楽を通して伝えるためには、まず作り手から変わらなければいけない。だから僕は自分が音楽家として書いたことのない曲を、「あじさいの唄」という作品に出会ったから生まれた、新しい沢田完を見せたい。そう思いました。そのためには先ず自分が挑戦しなければ。だから、演奏者にもそのことを話しました。 「曲を気に入ってもらえたのなら、ぜひ演奏者であるあなた達自身も変わって欲しい。決して、きれいに、こなした演奏だけはして欲しくない。」そう言いました。ソロバイオリニストの吉田恭子さんには、楽譜よりも絵コンテを見て欲しいと伝えました。実際の演奏を聴いてみると、すべてがパーフェクトで、予想以上のできに驚きました。本当に嬉しかった。僕は連鎖だと思うのです。観る人、聴く人を変えるにはまず作り手、演じ手が変わらなくてはいけない。それが伝わるんです。今回の場合は高橋がなりさんを起点に、その思いが制作者たちの手から手に伝わって、さらに大きなメッセージとなってこの作品全体に流れている気がします。
大人になると、哀しいとか楽しいとか、感情をカテゴリーに分けたがるけれども、僕は人間の感情は同時にいろんなものが押し寄せてくるものだと思います。僕は「あじさいの唄」を、哀しい作品だとは思わない。でも栗太郎くんには、「彼自身の人生をひたむきに、強く生きていって欲しい。そんな思いで包んであげたい。」というような気持ちをみんなが描くと思いました。だからいろんなイメージが同時に思い浮かぶような曲を書きたいと思った。僕は最近、改めて作曲の大切さを感じます。音楽は抽象芸術ですから、特にインストゥルメンタルでは客観的な事実を伝えることは出来ない。聴く人それぞれの感じ方があっていい、というのが良いところだと思っています。でも作品より音楽が目立つようでは成功とは言えません。作品を見終わった時に「ああ、いい作品だったね」と言われるのが最高の誉め言葉だと思っています。
「あじさいの唄」は、現代人が失いつつある“人に優しくすること、されること”をテーマに描いているので、スタンダードな、ヒューマニズムに訴えかける作品です。まさに子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、老若男女に見て欲しいと思います。僕はぜんぜん日本的な作風だとは思っていませんから、日本人でなくとも伝わるのではないでしょうか。人間が、人間を見たい。そういう原始的な部分に触れた作品です。

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